頑張れるって幸せ
2021/04/19 15:57:47
英検1級およびTOEIC満点(LR990)を取得しました。
それぞれ2019年3月と2020年1月での取得。
大学に入学した頃は、(万一生きるとしたら)もちろん就活までに取ると思っていたものが、社会人4年目&5年目での取得、と引き伸ばされてしまいましたが、、
それで昇給するわけでもないし、今の所転職する予定も無いし
強いて言えば、これから新しく始めようと思っていることにちょっとしたカードとして使えるかもしれないぐらい。
世間的に見たら結構すごいけど、今では英語を仕事にしているので、これでも別に当たり前のレベル。(ただし恥ずかしい点数/級ではないけど!)
それでも、ずっと取らなきゃって口では言いつつ努力を全然してこなかったから、やっと取ろうと思うに至れたことが嬉しい。
大学で英語を専攻した割に全然自分で学ばなかったものの中高での積み重ねが今なお効いていて今までの英語学習量はかなり多いので、狙いを定めたらどちらも一発で仕留められるぐらいの実力は幸い既にあったんだけど、単語覚えるとか模擬問題解くとか、最後のひと押しの努力がずっとできずにいたから、10年越しに「頑張れる自分」を取り戻せた感じがして、それが嬉しいのです。
世間的なものより何より自分が満足している。
たまに努力家と言っていただけることがある反面、高校中退=普通の人ができる努力さえもできない証拠、と自分に烙印を押していて、当時の記憶もそうだけど自分が持っている高校中退という事実に対してもずっと苦しんできた。それが、頑張れる証拠みたいなものをふたつ手に入れたことで、やっと少し和らいだ気がします。
取らずに死んだら後悔してたと思うから、良かった…。
社会人4年目の時に受験料が上がるニュースを聞いて急に英検を受けようと思うまで、仕事以外はほとんどゲームして過ごしていて、仕事でもストレスがかからなかったおかげで、精神がかなり元気になってて、だから受けようって思えたのです。環境に感謝。
時間はかかったけど。
そういえば世間的にはTOEIC満点の方が評価されがちっぽい(どちらも社会的な場面で使ってないからまだ分からんけど…)んだけど個人的には英検1級の方が嬉しいですね。だってこの私が面接突破したの今でも信じられない…ギリギリだったけど合格は合格…(小声)(大声) 中2でクラス一緒になった帰国子女の級友のかっこいい発音に憧れて練習して良かった…ありがとう…(1級二次試験は発音の評価が1/4を占める)
高校の時にお世話になった副担任の先生に「10年前のことをなかったことにするくらい世に誇っていい」って言ってもらえたのを胸に刻んで11年目を生きています。
経歴面で引け目を感じていたのを資格で取り戻せるか、分からんけど、とにかく自己肯定感は上がった。
何かあっても「いやでも私英検1級だしw」とか思えそう。(性格)
この2年間は、1日も欠かさずに毎日1分以上は勉強するようにしています。また「頑張れない自分」に戻るのが怖いという強迫的な感覚もある。ただ本当に1分ぐらいしかやらない日もあって、全然無理はしていない笑
2020年度はステイホームだったこともあり、手を広げて韓国語やフランス語やFPの勉強もしました。
高校で履修できなかった生物もやろうと思いつつうまく進められてない…でも今年度はやる…(そこも高校時代のコンプレックスかよ)
それぞれ2019年3月と2020年1月での取得。
大学に入学した頃は、(万一生きるとしたら)もちろん就活までに取ると思っていたものが、社会人4年目&5年目での取得、と引き伸ばされてしまいましたが、、
それで昇給するわけでもないし、今の所転職する予定も無いし
強いて言えば、これから新しく始めようと思っていることにちょっとしたカードとして使えるかもしれないぐらい。
世間的に見たら結構すごいけど、今では英語を仕事にしているので、これでも別に当たり前のレベル。(ただし恥ずかしい点数/級ではないけど!)
それでも、ずっと取らなきゃって口では言いつつ努力を全然してこなかったから、やっと取ろうと思うに至れたことが嬉しい。
大学で英語を専攻した割に全然自分で学ばなかったものの中高での積み重ねが今なお効いていて今までの英語学習量はかなり多いので、狙いを定めたらどちらも一発で仕留められるぐらいの実力は幸い既にあったんだけど、単語覚えるとか模擬問題解くとか、最後のひと押しの努力がずっとできずにいたから、10年越しに「頑張れる自分」を取り戻せた感じがして、それが嬉しいのです。
世間的なものより何より自分が満足している。
たまに努力家と言っていただけることがある反面、高校中退=普通の人ができる努力さえもできない証拠、と自分に烙印を押していて、当時の記憶もそうだけど自分が持っている高校中退という事実に対してもずっと苦しんできた。それが、頑張れる証拠みたいなものをふたつ手に入れたことで、やっと少し和らいだ気がします。
取らずに死んだら後悔してたと思うから、良かった…。
社会人4年目の時に受験料が上がるニュースを聞いて急に英検を受けようと思うまで、仕事以外はほとんどゲームして過ごしていて、仕事でもストレスがかからなかったおかげで、精神がかなり元気になってて、だから受けようって思えたのです。環境に感謝。
時間はかかったけど。
そういえば世間的にはTOEIC満点の方が評価されがちっぽい(どちらも社会的な場面で使ってないからまだ分からんけど…)んだけど個人的には英検1級の方が嬉しいですね。だってこの私が面接突破したの今でも信じられない…ギリギリだったけど合格は合格…(小声)(大声) 中2でクラス一緒になった帰国子女の級友のかっこいい発音に憧れて練習して良かった…ありがとう…(1級二次試験は発音の評価が1/4を占める)
高校の時にお世話になった副担任の先生に「10年前のことをなかったことにするくらい世に誇っていい」って言ってもらえたのを胸に刻んで11年目を生きています。
経歴面で引け目を感じていたのを資格で取り戻せるか、分からんけど、とにかく自己肯定感は上がった。
何かあっても「いやでも私英検1級だしw」とか思えそう。(性格)
この2年間は、1日も欠かさずに毎日1分以上は勉強するようにしています。また「頑張れない自分」に戻るのが怖いという強迫的な感覚もある。ただ本当に1分ぐらいしかやらない日もあって、全然無理はしていない笑
2020年度はステイホームだったこともあり、手を広げて韓国語やフランス語やFPの勉強もしました。
高校で履修できなかった生物もやろうと思いつつうまく進められてない…でも今年度はやる…(そこも高校時代のコンプレックスかよ)
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実は2回高校中退しました
2020/10/26 15:06:35
色々ありすぎた高校2年目、3年目から10年が経って
今年2020年はいろんな日に「あれから10年か…」と思う機会が多かった。
今日は、二度目の高校中退から10年。
あれが退学だと受け入れられるかは別として、認められるようになったのさえも最近です。
留学を中断みたいに書いてある記事とかでも、「2回目の中退」みたいな記載はおそらく自分でもしていないのでは。
あまりにも受け入れがたすぎることだったから。
けれど、海外留学といえど公立高校に正式に通学していて、
各授業の教師にLeaving form(つまり退学届)のサインをもらいに行った記憶はちゃんとあるので
あれは高校中退<2回目>でしたね。。
息苦しくなる記憶をちょっとだけ掘り返すと、
ホームステイ先の人たちとうまくやっていけなくって、
というか私が病んでる状況が結構深刻に伝えられていたっぽくて(憶測だけど多分事実です)、
私のことをあちらが受け入れようと努力していたけど限界に達したっぽくって、
ぎりぎり未成年(成人が18歳、当時17歳10か月)だったからホームステイ以外の滞在手段を私に与えることもできず、
すでに2回ステイ先替わってた私をそれ以上他の家族に引き渡すこともできず、
急にInternationalの部屋に呼び出されて「明日の朝のフライトで帰りなさい」と言うことになり
文字通り目の前が真っ暗になったの。
本当に、耐えきれないレベルの絶望が降りかかると、視界がおかしくなるのです。
瞬間的な絶望レベルは今の所人生トップじゃないかな。
決していい加減な気持ちでやっていたわけじゃなくて、
日本の高校も中退して背水の陣で、
これでやっていけなかったら、万一追い出されたりしたら、死のうって、
結構本気で思ってて、自分なりに頑張って、
それが本当に最悪の結末になってしまったから。
ふらふらと椅子に座り込んだものの
私の頭の中には妙に冷静な部分もあって
「絶対に留学が中断したと決定したわけでもないし(多分その時点で決定はしてたんだけど私は翌年戻れる可能性もあるみたいに聞かされていた、多分ショックを与えすぎないため)、万一そうなったとしても今日本に帰ってすぐ大学を受けることもできる。1年だけ。1年だけ頑張ろう。1年だけ普通の人として生きてみて、それが駄目だったら死ねばいいじゃないか。」
みたいなことを一瞬で考えていた。
そういうのが急に出てくる自分自身をみて、生きたいという本能をすごく持っていることを感じた。
その日の夜から翌朝にかけては、代替わりした新International Deanが一緒に過ごしてくれた。
乱雑にステイ先から運び出された荷物を徹夜でまとめつつ、WHATSUP(チャイルドライン)にも電話してカウンセラーさんとお話していた。
本当に本当に受け入れられなくて
空港まで車で送ってもらって、朝ごはんもごちそうになった。
食べれたかどうかは覚えてない。ホットチョコレートだけにしたっけ。。
バナナフックからバナナを1つちぎってカウンターに持っていくInternational Dean。
優しく私を哀れんでくれた。無駄な抵抗はやめた。
戻れないことが正式に言い渡される1か月後まで、戻れないって薄々感じながらも半ば無理やりこれは一時帰国だって信じ込もうとしていた記事が痛々しい。
その間何も勉強せず、言い渡された時点からの受験生スタート。
「無」になるように努めた。
そんなに努力しなくて、まず期間があまりに短すぎたけど、賢かったおかげで(あえて嫌味な書き方を…)、晴れて大学生デビュー。
その後も、主に塾のバイトで日々を多忙にすることを心がけ、なるべく考えないように、考えないように。
現地の友人にも何も言えないまま去ってしまったから、それは大学1年の時の渡航で特に仲の良かった3人に会って気持ちを整理して。
ただホームステイ関係の人たちへの感情は今でも整理するのが難しい。
元気かなって思うことさえも苦しい。
化学を中心に無駄に成績の良い通知表。
戻れないなら私にとっては全部全部0点。
「無」が一番マシな答えだと思う。
多分苦しみしか出てこない。
未だにそうだから、1回目の中退よりも引きずってはいないように感じるのかと。
ただ、バッドエンドだったけど、意味はあったと思う。
日本でやっていけないのに海外でやっていけるわけがないことが分かった。←
英語(言語としてではなく科目としての英語)が得意だからって、海外に無駄な憧れを抱かずに済んだ。
少なくともこれに関しては、大学以降で留学したり、就職にあたって海外に初めて行く場合に比べて、
その後の人生に与える悪い影響を減らすことができた。
あと費用も、学費や当時の為替、物価、結果として短くなった期間のことを考えるとあれでもかなり少なく済んだ。
英語は多分好きだけど、外国に行くのは向いてないから日本国内で、しかも他人とのコミュニケーション特に会話が極力少ないような仕事が向いているだろうという、かなり厳選された方向性も消去法にて定まった。
運良く今本当にそういう仕事を6年近く苦痛なくやれていて、ちゃんと今につながっているから、そう思える。
留学中の努力が完全に無駄になったと長らく思っていた化学も活きている。
無駄じゃないって思えてるのは救い。
でもやっぱり思い出すのは苦しい。
そして2回も中退してしまった事実よ。
高校中退1回なら、よっぽど何か理不尽な辛い外的要因があったのかな?とまず思われるかもだけど、
流石に2回となったら私に原因があることが明らかだし、本当に社会の中で生きるのに向いていないことがモロバレですね。。
それでもなんとか生きてこれてるから、その後の運の良さに感謝ではあるけれど
自覚していない間に多分色々迷惑をかけ続けているんだろうなとは思うと、申し訳無さが凄いです。
すっかり忘れているかなと思ったけど案外覚えていて結構長くなりました。
もうあんな思いしたくない。
ただ何か改善ができているわけではなさそうだから、またいつそうなるかと思うと怖いです。
やっとあれを退学(2回目)として、失敗として、認められるようになったぐらい。
今年2020年はいろんな日に「あれから10年か…」と思う機会が多かった。
今日は、二度目の高校中退から10年。
あれが退学だと受け入れられるかは別として、認められるようになったのさえも最近です。
留学を中断みたいに書いてある記事とかでも、「2回目の中退」みたいな記載はおそらく自分でもしていないのでは。
あまりにも受け入れがたすぎることだったから。
けれど、海外留学といえど公立高校に正式に通学していて、
各授業の教師にLeaving form(つまり退学届)のサインをもらいに行った記憶はちゃんとあるので
あれは高校中退<2回目>でしたね。。
息苦しくなる記憶をちょっとだけ掘り返すと、
ホームステイ先の人たちとうまくやっていけなくって、
というか私が病んでる状況が結構深刻に伝えられていたっぽくて(憶測だけど多分事実です)、
私のことをあちらが受け入れようと努力していたけど限界に達したっぽくって、
ぎりぎり未成年(成人が18歳、当時17歳10か月)だったからホームステイ以外の滞在手段を私に与えることもできず、
すでに2回ステイ先替わってた私をそれ以上他の家族に引き渡すこともできず、
急にInternationalの部屋に呼び出されて「明日の朝のフライトで帰りなさい」と言うことになり
文字通り目の前が真っ暗になったの。
本当に、耐えきれないレベルの絶望が降りかかると、視界がおかしくなるのです。
瞬間的な絶望レベルは今の所人生トップじゃないかな。
決していい加減な気持ちでやっていたわけじゃなくて、
日本の高校も中退して背水の陣で、
これでやっていけなかったら、万一追い出されたりしたら、死のうって、
結構本気で思ってて、自分なりに頑張って、
それが本当に最悪の結末になってしまったから。
ふらふらと椅子に座り込んだものの
私の頭の中には妙に冷静な部分もあって
「絶対に留学が中断したと決定したわけでもないし(多分その時点で決定はしてたんだけど私は翌年戻れる可能性もあるみたいに聞かされていた、多分ショックを与えすぎないため)、万一そうなったとしても今日本に帰ってすぐ大学を受けることもできる。1年だけ。1年だけ頑張ろう。1年だけ普通の人として生きてみて、それが駄目だったら死ねばいいじゃないか。」
みたいなことを一瞬で考えていた。
そういうのが急に出てくる自分自身をみて、生きたいという本能をすごく持っていることを感じた。
その日の夜から翌朝にかけては、代替わりした新International Deanが一緒に過ごしてくれた。
乱雑にステイ先から運び出された荷物を徹夜でまとめつつ、WHATSUP(チャイルドライン)にも電話してカウンセラーさんとお話していた。
本当に本当に受け入れられなくて
空港まで車で送ってもらって、朝ごはんもごちそうになった。
食べれたかどうかは覚えてない。ホットチョコレートだけにしたっけ。。
バナナフックからバナナを1つちぎってカウンターに持っていくInternational Dean。
優しく私を哀れんでくれた。無駄な抵抗はやめた。
戻れないことが正式に言い渡される1か月後まで、戻れないって薄々感じながらも半ば無理やりこれは一時帰国だって信じ込もうとしていた記事が痛々しい。
その間何も勉強せず、言い渡された時点からの受験生スタート。
「無」になるように努めた。
そんなに努力しなくて、まず期間があまりに短すぎたけど、賢かったおかげで(あえて嫌味な書き方を…)、晴れて大学生デビュー。
その後も、主に塾のバイトで日々を多忙にすることを心がけ、なるべく考えないように、考えないように。
現地の友人にも何も言えないまま去ってしまったから、それは大学1年の時の渡航で特に仲の良かった3人に会って気持ちを整理して。
ただホームステイ関係の人たちへの感情は今でも整理するのが難しい。
元気かなって思うことさえも苦しい。
化学を中心に無駄に成績の良い通知表。
戻れないなら私にとっては全部全部0点。
「無」が一番マシな答えだと思う。
多分苦しみしか出てこない。
未だにそうだから、1回目の中退よりも引きずってはいないように感じるのかと。
ただ、バッドエンドだったけど、意味はあったと思う。
日本でやっていけないのに海外でやっていけるわけがないことが分かった。←
英語(言語としてではなく科目としての英語)が得意だからって、海外に無駄な憧れを抱かずに済んだ。
少なくともこれに関しては、大学以降で留学したり、就職にあたって海外に初めて行く場合に比べて、
その後の人生に与える悪い影響を減らすことができた。
あと費用も、学費や当時の為替、物価、結果として短くなった期間のことを考えるとあれでもかなり少なく済んだ。
英語は多分好きだけど、外国に行くのは向いてないから日本国内で、しかも他人とのコミュニケーション特に会話が極力少ないような仕事が向いているだろうという、かなり厳選された方向性も消去法にて定まった。
運良く今本当にそういう仕事を6年近く苦痛なくやれていて、ちゃんと今につながっているから、そう思える。
留学中の努力が完全に無駄になったと長らく思っていた化学も活きている。
無駄じゃないって思えてるのは救い。
でもやっぱり思い出すのは苦しい。
そして2回も中退してしまった事実よ。
高校中退1回なら、よっぽど何か理不尽な辛い外的要因があったのかな?とまず思われるかもだけど、
流石に2回となったら私に原因があることが明らかだし、本当に社会の中で生きるのに向いていないことがモロバレですね。。
それでもなんとか生きてこれてるから、その後の運の良さに感謝ではあるけれど
自覚していない間に多分色々迷惑をかけ続けているんだろうなとは思うと、申し訳無さが凄いです。
すっかり忘れているかなと思ったけど案外覚えていて結構長くなりました。
もうあんな思いしたくない。
ただ何か改善ができているわけではなさそうだから、またいつそうなるかと思うと怖いです。
やっとあれを退学(2回目)として、失敗として、認められるようになったぐらい。
人生を導いてくれた人
2020/01/25 19:19:13
少し前の話になってしまいますが、どうしても書いておきたいこと…
10月10日にT先生に再会しました。
そう、11年前、高校生だった時に塾でお世話になった、本当に苦しすぎた時期に支えてもらった恩人である、大好きな大好きな先生です。
このブログの過去記事にも頻繁に登場する方です。
お互い塾から離れて先生と生徒というわけではなくなったので一時期さん付けをしていたけど、やっぱり私にとっては永遠に恩師で一番先生とお呼びしたい方だから先生呼びの方がしっくり来るので、書き方を戻してます笑
Facebookで数年に1度ぐらいのやり取りはしていたのですが、対面で会うのは、2009年12月29日以来の、9年ぶり…!
「少し時間が出来たので人に会いたい」的投稿を見た瞬間、自分が特に対象とされているわけではないことを十分分かっていながらも、図々しくも手が勝手に「会いたいです」と送ってしまいました(苦笑)
それぐらい、本当はずっとずっと会いたかったんです。。
美味しいイタリアンのお店に連れて行ってもらったんですけど、テンションがおかしなことになってて全然食事が喉を通らなくて料理が冷めてごめんなさい(泣)
あ、(泣)って書いてるけど、あの頃みたいに泣かずに過ごしました…!
一瞬危うかったけど!笑
それどころか、
「明るくなったね」
「よく笑うね」
って、沢山言ってもらえました。
ほんとですか?って感じだったんですけど確かに私ずーっと先生の前で泣いていたからね。。
先生の前で泣かずに過ごしたことって、9年前に一度再会した時も含めてほとんど無かったもんね。。
現在の話、過去の話、未来の話、、
思い出話に加え、お互いの仕事の話、彼氏さんの話、語学学習の話、加えて実は小中高一緒なのでそこらへんの話とか、何時間喋っても足りないぐらいでした。
プロポーズされた報告を初めて自分の口からしたのがT先生になって凄く嬉しいです(あっ、また書きます…笑)
本当に幸せな時間
世界で一番尊敬する恩師との会話は、久々に自分の中で沢山の感情が湧き上がるきっかけとなりました。
まず、私が今もなおT先生のことが大好きだということを実感しました!←
私は普段あまり人に関心が無いタイプなのですが、T先生のことを考えている時だけは例外だと思います。本当に本当に好きで
それは恋愛とはまた違ったもので、友情ともなんだか違って
「信仰」に近い感情。
神を信じる人が神を愛するような感情、だと勝手に思ってる。笑
それぐらい絶対的な存在。
簡単に汚されない。
お互い彼氏がいても後ろめたくない感情(※嫌がられたらやめます/(^o^)\)。
"一歩でも(自分もそうなれるように)近づきたい"という憧れ。
先生に対する憧れの気持ちは先生に出会って以来ずっと持っていたんですが、
長年会ってないから、私の妄想の中でT先生の像が勝手に膨らんで、必要以上に偉大な虚像が描かれているのかなと思ってた。
でも違った。
実際会ってみるとやっぱり先生は私の憧れで、好きっていう気持ちも強まりました。
一生私の憧れで大好きな存在です。
憧れの人物にほんの一要素でも届くように、先生ならどう考え、どう行動するか、常に頭に描いて人生送りたい。
次に、先生の話を聞いてて見えたのが、
T先生が苦労ありながらも頑張って頑張って、実はその先も苦労があって、また頑張って頑張って、それをずっと繰り返してこられたこと。
この10年間ぐらいずっとしんどかったわ、と。
私が何も考えないように生きてきた10年間。
きっとT先生は一生懸命考えて努力してをずっと積み重ねてきたんだなあ。
1年ぐらい前に少し頑張ったら英検受かって、それから私も少しはいろいろなことに前向きに頑張れるようになったつもりだけど
先生が頑張ってきた期間や量からしたら、本当に足元にも及ばないことに気付きました。
それを改めて深く尊敬するとともに、最早楽してください…!と思ってしまった。
私は努力家の方々を沢山知っているつもりだけど、T先生ほどの人は知らない。
頑張った人ほど報われる人生を送ってほしいし、そうあるべきだと思う。
十分、一生分頑張ってると思うから、これからT先生には(頑張らずにいることは無理かもしれないので、せめて)幸せなことだけが起こりまくってほしい、と願う気持ちを抑えられません。何様ww
それから…
T先生は私がボロボロだった時に見捨てずにいてくださった方。
塾の先生という立場で助けようのない生徒が夜遅くまで泣いててなかなか帰らなくて非常に厄介だったと思うし、その上他人に聞かせられないような話ばかり相談してしまってて、よく見捨てられませんでしたねありがとうございます。
…見捨てられなかった。
心のなかで蘇る11年前の先生
(参考→当時の記事)
「何があっても、私はマユさんを見捨てたりはしない」
T先生は覚えているか分からないけど、私は先生のこの言葉のおかげで生きられた。
今まで、生きてこれた。
…T先生にね、今回お会いした数日後に色んな感情がわあってなってしまった時に、メッセージ送ったの。
私「見捨てずにいてくださってありがとうございます😭😭」
先生「見捨てませんよ」
全員から拒絶されたかのように感じて心が張り裂けそうだった15歳の私に対して、しかも塾にもろくに来なくて劣等生だった私に対して、あの言葉を言ってくださったとき、たとえ嘘でも私なんかにそんなことを言ってくださるのが嬉しくて、救われたの
それが、11年経っても、本当に見捨てずにいてくれた
先生、
主観的に見ても客観的に見ても、私はT先生の足元にも及ばない人間。
いくら尊敬していると言ってもね。
クズみたいな人間に向かってそんな素敵な言葉をかけてくれるT先生😭
過去に他人から言われた言葉のなかで、10年以上経っても私を苦しめるものがいくつかある
だけど、T先生のこの「見捨てない」という言葉は、逆に10年間以上私を救い続けている言葉だ
T先生の努力家な所も面白いキャラクターも歌がうまい所も沢山考える所も学歴も外見も全部好きだし尊敬している
けれど一番はこの言葉を始めとする一連の言動により高校生の時の私の命を救ってくれたことが、私の中で先生を絶対的にしている。
命を、というのは、当時の心情や状況を思えば、決して誇張表現ではなかったと思う。
たった20歳で、先生といってもただの塾バイトで、それなのに1人の命救ってるって、やはり偉大すぎて真似したくても出来ない。
…ただ、時間はかかっても私もそうやって人に手を差し伸べられる人になりたい、と、ずっと思い続けてる。
*****
塾で出会えたのがT先生だったからこそ一生懸命英語を勉強して私の強力な武器になった。
英検取得による自己肯定感の向上とか、今に至るまでその恩恵を受けている。
それから私が大学生の時に迷わず塾講師をアルバイトに選んだのは、T先生みたいな存在に近づきたいと思ったから。
なれたかは微妙だけど、4年間働いたことは私の財産になった。
今「まともな人生」を一応送れているのは、塾講師生活があったからこそだと思う。
あと、私が生きられたのは、生き延びられたのは、T先生がいたからこそ。
暗闇の中の一筋、いや、大きな大きな光。
時に眩しすぎて苦しく感じることもあったけど、私を見捨てずにいてくれた人がいたおかげで生きられた。
11年前とかその前後の時期は自分にとって運が悪すぎて、何もかもうまく行かなくて、今でも思い出すと辛くなってしまう程なんですが
T先生に出会えたこと
これだけは、間違いなく幸運なことでした。
私はT先生から、どれだけ大きなものをもらっているのだろう。
何を、どうやったら、少しでも返せるだろう。
私もたくさん考えながら生きていきます。
先生に大きな幸せが沢山降り注ぎますようにと願いながら。
また、近いうちに会えますように。
.

蓋を開けて覗いてみる
2019/12/18 11:31:20
数年に渡って何度か書いているけど、
長いこと思考を放棄して、忘れるように、忘れるように、何も考えないようにしていた。
しかしそれでもやっぱり肝心な部分を忘れることが出来ていない、と気付いた。
どうしたらいいんだろう。
普段は一応普通に生きている。
働いているし、趣味も色々している。
当時の自分が喉から手が出るほど欲しがっていた日常生活を送っている。
しかし、ふと何かを思い出しては苦しくなってTwitterで病んでしまう。
10年間ずっとその繰り返しだった。
最初の数年間は忘れるように努めたのが最高の選択だったと思う。
だって抱えていたら生きていけないから。
それぐらいの辛さだった。
バイトを最大限に詰めて必死に働いて、そうしたら考える暇が無かった上に、周りからも認められてお金も少しもらえた。
でも、ずっとそうしていていいのだろうか。
どこか逃げ続けているような感覚があって、それが最近ではしんどくなってきた。
そこで最近は敢えて自分がこのブログで過去に書いていた文章を読むようにしている。
10年前の私が、何をして、何を考えていたのか、そこにやっと目を向ける勇気が出たから。
向き合って解決するなら頑張るけど
何かが解決するのかすら、まだ分からない。
中高時代に辛かったことは異常に引きずっているものの
たとえば大学時代に彼氏と別れたこととか、就職が全然決まらなかったこととかは、中高時代と比べて最近のことではあるけれど、全然引きずっていない。
自分の中で意味付けが出来ているかどうかの問題だと思う。
T先生に少し相談したところ、
「"忘れる"ではなく"手放す"んだ
人が亡くなった時のような感覚」
とヒントをもらいました。
うまく消化して手放すことが出来るのでしょうか。
本当に複雑に物事が絡み合った時期だったから、処分にも時間がかかりそうですが、今の自分の心の健康を大事にしながらも、少しずつ解いていきたいと思います。
長いこと思考を放棄して、忘れるように、忘れるように、何も考えないようにしていた。
しかしそれでもやっぱり肝心な部分を忘れることが出来ていない、と気付いた。
どうしたらいいんだろう。
普段は一応普通に生きている。
働いているし、趣味も色々している。
当時の自分が喉から手が出るほど欲しがっていた日常生活を送っている。
しかし、ふと何かを思い出しては苦しくなってTwitterで病んでしまう。
10年間ずっとその繰り返しだった。
最初の数年間は忘れるように努めたのが最高の選択だったと思う。
だって抱えていたら生きていけないから。
それぐらいの辛さだった。
バイトを最大限に詰めて必死に働いて、そうしたら考える暇が無かった上に、周りからも認められてお金も少しもらえた。
でも、ずっとそうしていていいのだろうか。
どこか逃げ続けているような感覚があって、それが最近ではしんどくなってきた。
そこで最近は敢えて自分がこのブログで過去に書いていた文章を読むようにしている。
10年前の私が、何をして、何を考えていたのか、そこにやっと目を向ける勇気が出たから。
向き合って解決するなら頑張るけど
何かが解決するのかすら、まだ分からない。
中高時代に辛かったことは異常に引きずっているものの
たとえば大学時代に彼氏と別れたこととか、就職が全然決まらなかったこととかは、中高時代と比べて最近のことではあるけれど、全然引きずっていない。
自分の中で意味付けが出来ているかどうかの問題だと思う。
T先生に少し相談したところ、
「"忘れる"ではなく"手放す"んだ
人が亡くなった時のような感覚」
とヒントをもらいました。
うまく消化して手放すことが出来るのでしょうか。
本当に複雑に物事が絡み合った時期だったから、処分にも時間がかかりそうですが、今の自分の心の健康を大事にしながらも、少しずつ解いていきたいと思います。
お久しぶりです
2019/12/17 20:19:49
どうも毎度毎度ご無沙汰です。
1年以上あいててびっくりです、、
実は最近結構な頻度で自分でこのブログを訪れていまして
10年前の自分を救おうと、必死にもがいています。
過去のことよりも、今を生きなければいけないことは分かってるんだけど
忘れようと逃げていても、どうも肝心な部分が残っていて、ずうっと心がざらざらしたままなのです。
あーでもせっかくだからさらっと近況書いとこう。そうしよう。
別に1年を振り返りに来たわけじゃないんだけど、書き始めると書きたくなってしまう←
・1月に英検を受験し合格しました。
私は英語を専門としている身なので、英検の最上級を持っていても当たり前の範囲内なのですが、
その分落ちるのが怖くてずっと逃げてたんです。
昔ノー勉で受験して数点足りずに落ちたときから何年も受けてませんでした。
やっと今回、19日間の短期集中型で必死に勉強して合格。
2次試験の分も合わせたらようやく1か月分ぐらいの努力になるかな。
この回の試験を最後に受験料が上がるというのが一番の原因だったのですが笑、
頑張ろうと決めて頑張ることができ、成果まで上げられたのは私にとって大きな自信になりました。
就職が決まったときの次ぐらいに嬉しかったです。
「私でも頑張っていいんだ」って思うことができた。
・音楽活動をたくさんしました。
大学時代並にバンド演奏させてもらった1年でした。
今まで1年に1回2回やればいい方だったのに、何故か今年は2か月に1回以上の頻度で出番がたくさんありました。
本当に忙しくて仕事の帰りにスタジオに通う日々。
今年度も既にあと3回出番が決まってます。
音楽は趣味である以上に自分を他人に認めてもらうための手段なので、絶対に全て成功させられるように全力で取り組みます。
・9月にプロポーズされました。
全然書いてませんでしたが今の彼氏と付き合って既に4年が過ぎています。
自分自身が結婚することはあまり想定せずにのうのうと生きていたので、急に色々考えたら病みました←
自分の両親を見ていると結婚に全く希望が見いだせないので、変化が怖すぎます。助けてください←←
指輪もらっただけで、まだいつ何をするか全て未定ですが、そろそろ考えていかなきゃなと思ってます。
・恩師2人に再会しました。
このブログの過去記事に出てくる副担任、そして塾でお世話になったT先生に会いました。
いつまで経っても依存したくなってしまいます。←
私が何か恩返し出来る日は来るのだろうか。
ざっとこんな感じかな。
この他にも、バンドを追いかけたり、ゲームをやりまくったり、韓国語の勉強を始めてハン検に合格したり
あ、仕事も何とかやってます!←
この10年の中でも最も充実した1年だったのではないでしょうか。
と言いつつ最近心がいっぱいいっぱいで
そこそこ頑張れているから良いんですけど
またパンクして10年前のようになってしまうのが怖くて必死です…
気力が出た上で時間も取れるか分からないけど
もっとここに色々書いて気持ちを整理したいです。
休学中で家からほとんど出なかった10年前の私ー!
10年後も人生迷走しがちだけど、一応まともに生きてるからね!
楽しいことも、美味しいものも、沢山知ってるからね!
悩みつつも元気なはずですので。まだ。
みんな幸せでいられますように。
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1年以上あいててびっくりです、、
実は最近結構な頻度で自分でこのブログを訪れていまして
10年前の自分を救おうと、必死にもがいています。
過去のことよりも、今を生きなければいけないことは分かってるんだけど
忘れようと逃げていても、どうも肝心な部分が残っていて、ずうっと心がざらざらしたままなのです。
あーでもせっかくだからさらっと近況書いとこう。そうしよう。
別に1年を振り返りに来たわけじゃないんだけど、書き始めると書きたくなってしまう←
・1月に英検を受験し合格しました。
私は英語を専門としている身なので、英検の最上級を持っていても当たり前の範囲内なのですが、
その分落ちるのが怖くてずっと逃げてたんです。
昔ノー勉で受験して数点足りずに落ちたときから何年も受けてませんでした。
やっと今回、19日間の短期集中型で必死に勉強して合格。
2次試験の分も合わせたらようやく1か月分ぐらいの努力になるかな。
この回の試験を最後に受験料が上がるというのが一番の原因だったのですが笑、
頑張ろうと決めて頑張ることができ、成果まで上げられたのは私にとって大きな自信になりました。
就職が決まったときの次ぐらいに嬉しかったです。
「私でも頑張っていいんだ」って思うことができた。
・音楽活動をたくさんしました。
大学時代並にバンド演奏させてもらった1年でした。
今まで1年に1回2回やればいい方だったのに、何故か今年は2か月に1回以上の頻度で出番がたくさんありました。
本当に忙しくて仕事の帰りにスタジオに通う日々。
今年度も既にあと3回出番が決まってます。
音楽は趣味である以上に自分を他人に認めてもらうための手段なので、絶対に全て成功させられるように全力で取り組みます。
・9月にプロポーズされました。
全然書いてませんでしたが今の彼氏と付き合って既に4年が過ぎています。
自分自身が結婚することはあまり想定せずにのうのうと生きていたので、急に色々考えたら病みました←
自分の両親を見ていると結婚に全く希望が見いだせないので、変化が怖すぎます。助けてください←←
指輪もらっただけで、まだいつ何をするか全て未定ですが、そろそろ考えていかなきゃなと思ってます。
・恩師2人に再会しました。
このブログの過去記事に出てくる副担任、そして塾でお世話になったT先生に会いました。
いつまで経っても依存したくなってしまいます。←
私が何か恩返し出来る日は来るのだろうか。
ざっとこんな感じかな。
この他にも、バンドを追いかけたり、ゲームをやりまくったり、韓国語の勉強を始めてハン検に合格したり
あ、仕事も何とかやってます!←
この10年の中でも最も充実した1年だったのではないでしょうか。
と言いつつ最近心がいっぱいいっぱいで
そこそこ頑張れているから良いんですけど
またパンクして10年前のようになってしまうのが怖くて必死です…
気力が出た上で時間も取れるか分からないけど
もっとここに色々書いて気持ちを整理したいです。
休学中で家からほとんど出なかった10年前の私ー!
10年後も人生迷走しがちだけど、一応まともに生きてるからね!
楽しいことも、美味しいものも、沢山知ってるからね!
悩みつつも元気なはずですので。まだ。
みんな幸せでいられますように。
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